第1疎水と第2疎水合流部 京都府民にとって琵琶湖疎水の計画は、見当もつかない大工事であるだけに、明治１８年の着工までのあいだには、様様な反対運動が起こった。反対派の言い分を当時の新聞はこう語っている。
「運輸には汽車があれば、あえて要せず（中略）湖水は元来腐敗水なれば、これを京都に疎水するは悪疫流行の予防にあらずして、かえって媒介となるべしなど駁するもあるよし（明治１６年８月３日 郵便報知）」
水をあげる立場の滋賀県も「当地勧業諮問会は琵琶湖疎水工事を有害のものなりと決定せり（明治１７年３月１４日 郵便日報）」と事業に断固として反対した。
そのほかにも『喜多爺娼妓東山を切割りて近江びは子を引き取らんとする図』という、次のような皮肉にみちた一文も残されている。
「東山」は文字通り京都の東山を、「喜多」は北垣国道知事を、「びは」は琵琶湖をさしている。
東山「妾のような天然自然の美姿あるものを刃ざんまいなさるとは余れ残忍たらしきお仕方ではありませんか」
喜多「己は先の爺がせぬ事をして西京人寝惚根性を一変せんとするのだ」
びは「旦那は大造妾にほれてお出でだけれでも旦那のような水臭い有害無益な事をする人はいやです。其の上川下の人たちが水害にあるとかなんとかやかましく云ふにハ相違ないから水受（身請けの洒落）の相談はお断りだよ」（我楽多珍報７７）
第1疎水と第2疎水合流部
工事費は当初の予算の倍近くの125万円にふくらみ、到底、産業基立金（約４０万円）や府補助・国庫補助（計３５万円）等だけでは足りず、約２７万円分は目的税という形で庶民から徴収することでまかなわれた。これは少なからず京都の人々の生活を圧迫したようで、疎水完成間近の明治２１年頃には、市民から選出された総代が、千五百余命の同意書を持ち、上京のうえ工事中止の請願書を内務大臣に差し出そうとする動きなどもあった。
当時の１２５万円というお金は市の年間予算の十数倍にあたることもあり、府民からは、北垣国道知事は「今度来た餓鬼極道」と、田辺朔郎は「ワカゾウ」と皮肉られる始末だった。
また、かの福沢諭吉も疎水反対論者だった。福沢氏は明治２５年５月１３日の時事新報にて、「日本国は世界の遊園にして京都は其遊園中の遊園なり 中略 京都にして名所旧跡を失えば、誰れか京都をみるものあらんや。帝都は既に東京に移りて商売は神戸大阪に去り、唯残るものは山水の美と寺社仏閣の古さのみ」と前置きしたうえで、琵琶湖疎水を「疎水工事は起工の其時より事物の緩急前後を誤り、いわゆる文明流に走りたる軽挙（中略）百何十万円の大金を費して曽て利するところなし」と痛烈に批判している。
しかし、前述のような批判を正面から受けながらも、２人は屈する事無く、事業を着工にこぎつけ、最後に府民に祝福と感謝で迎えられることになる。明治２３年４月、京都は盆と正月が一緒に来たかような興奮に包まれた。琵琶湖疎水の竣功式である。この日は明治天皇が久しぶりに京都に「おかえりに」なり、如意岳の山肌には大文字が点火された。当時の新聞は「川端通りより蹴上げ事務所の辺りまでは、人より人に続きて群集し、運河の両側はさながら人を以って丘を築きたるごとく（中略）衆庶の万歳を唱うる歓歌の声と相和して遠近に響き渡り、その盛況なかなかに筆舌のよく尽くすべきにあらず。市中も銀行諸会社を始め各商工人等大抵は業を休み、家々幕を張り紅灯を掲げて祝酒を酌みたり（明治２３年４月１０日中外電報）」と、当時の喜びを伝えている。出来上がってみれば、琵琶湖疎水は、日本の土木技術が欧米から自立できる事を世界に証明していたのである。
